亭主の思い・経歴

誕生

石見銀山の写真

1979年8月30日生まれ。
私は、母親の田舎、島根県、世界遺産『石見銀山』のある島根県大田市で生まれました。 育ちは東京で、子供の頃は、食べる事が大嫌いで食事中遊んだりして父親によく怒られました。もともと、大きい訳ではありませんでしたし、幼児検診で引っかかり、入院していたことを覚えています。

幼少期

亭主の幼少期の写真1

父は、歯科技工で職人で自営業でしたので、自宅横の職場で仕事をよく見ていました。その血を引いているのかモノづくりが大好きでした。当時はガチャガチャや、簡単なプラモデルを作ったりしていました。
中学生までは、毎年母親の田舎、島根まで家族で行っていました。私の4つはなれた姉は、誕生日が8月の6日、6つはなれた妹はなれた18日そして私は30日とみな8月生まれ。この6日から18日の間の約2週間に。
小さな頃に、『日航機墜落事故のニュース」があり、私はそれが嫌で、飛行機ではなく、寝台でとお願いし、1日かけた夜行列車で行っていました。そして、島根県の大田市でしたので世界遺産の『石見銀山』、国引き神話にでてくる『三瓶山』、海や花火大会に連れて行ってもらいました。そしてお盆中には、『天領三瓶さん』という夏祭り、そこで観る出雲神話『神楽』が『ドラクエ』のようで大好きでした。

亭主の幼少期の写真2

初めてたまプラーザを知った小学生時代

小学校に入り、低学年の頃から母親の料理を手伝ってました。とは言っても、サラダのレタスをちぎったり、目玉焼きを焼いたりとかんたんなこと。
そんな昭和から平成に代わる年、小学生の3年の夏休みに近所の友達が東急線のスタンプラリーをしていて、一緒いやらないかというお誘いが。私は面白そうだったのですることにしました。友達二人とのスタンプラリーは毎日が小旅行。昼ごはんに、駅のホームのベンチで母親が作ってくれた御弁当を食べました。
そんな中、思い出に残る駅名がありました。それが『たまプラーザ』です。ひらがなとカタカナが混ざりあった駅名は、とても違和感があり、『変な名前』そんな強い印象を受けました。これが最初の出会いです。

スタンプラリーの写真

料理人を志した中学生

中学生の頃、美術や家庭科の授業が好きだった、私はそこそこの自信がありました。ある日同じクラスの友達に料理が得意な男の子がいて、『負けたなぁー、悔しやいー』と感じ、それがきっかけで料理人を志しました。
そして、中学3年生の頃には、貯めたお年玉で、1本の包丁をかいました。残念ながらその包丁は、後輩に挙げてしまいましたが・・・
↓中学生卒業アルバムの友達の寄せ書きより

寄せ書きの写真

茶の湯と器に興味をもった高校時代

高校に入り、父親のススメで茶道を習うことになりました。その時の先生が最初に下さったのが、この大樋焼きの御茶碗でした。
大樋焼きは金沢の焼き物で、飴色をしているのが特徴的です。私の思い出の器です。
茶道(裏千家)を学び、2年間という短期間でしたが、そこで「御茶と料理」「懐石」の切っても切れぬ関係を知り、器にも興味をもちました。

お茶碗の画像

専門学校時代と旅の思い出

『料亭のおもてなし』

高校卒業後は、人とは違う何か身につけたい、と佐伯栄養学校に入り栄養学を勉強しました。
その後、料理の技術・知識を身に付ける為、 服部栄養士専門学校に入学。その間、小学生の頃のスタンプラリーの影響か旅行が好きで、そして歴史が好きで中でも『坂本龍馬』に関心をもっていたので、初めに高知に行きました。
他にも、坂本龍馬ゆかりの地、長崎を訪れました。そこで、どういても一度いってみたかった『花月』という料亭へ。目的は坂本竜馬の刀傷の柱の見物と、長崎県の郷土料理、『卓袱料理』を味わうため。
一人で旅行をし、この年だったのでお店の女将さんが驚いていて、料理説明やいろいろなことを親切に教えてくださいました。そして、食事には『赤飯』この時、料亭のおもてなしの素晴らしさを知りました。

旅館の写真

私の料理の原点、究極の逸品

日本を代表する400年続く、名物はやっぱりすごい!!
私が最初に修行したのは、京都のとある料亭。名物の玉子は、非凡なまでに平凡なゆで卵。この、一品にこそ料理の原点がありました。
季節や、個数によって異なる鍋の選定、ゆでる時間、柔らかいものを切るといる包丁の技術、そして、技術を伴う、一子相伝の味付け。これももちろんさることながら、一番は、非常に柔らかく、からをむくときからの取り扱いです。
食材を大切に扱う、心のこもった逸品。私はこれが料理の基本だと思います。

修行時代一番の思い出

2001年、京都、東山三条にある裏千家御抱えの料理屋に入りました。
今とは違い、1ヵ月に一度しかない休み、そして住み込み生活。よくあるテレビドラマの世界以上に大変な世界で、春の御花見、秋の紅葉、そして、年明けの初釜は、1 週間の毎日の平均、睡眠時間が平均2時間という厳しい世界でした。
中でも、おせち前の出来事。当時家庭画報の取材と御節の仕込みが重なり3日間で、睡眠時間が2時間これがかなりしんどかったのを覚えています。
でも、これが自分の中での、自身や忍耐力をきたえる面でもとても良い経験、そして思い出になりました。その時の家庭画報は私の大切な宝ものです。

家庭画報の写真

独自の料理スタイルの確立

その後は、都内いくつかの有名店を経験し、知り合いの誘いから、当時日本で最高級シルバー施設のなかにある、レストラン部門に入り、和食部門責任者でこれまでの経験と栄養士の資格を生かした料理を作る毎日を過ごしていました。
今でこそ珍しくはないですが、運営会社が日本各地のブランド食材を探し、使用するという、さきがけの会社で食材の勉強と、そこで出会った西洋料理部門のシェフから洋食を学ぶことが出来ました。

瑞亭とロゴに込めた思い・・・

2013年 11月、横浜の自然と調和した閑静な街。横浜 青葉区のたまプラーザの住宅街の一角に瑞亭をオープン致しました 『瑞』には、古来日本、出雲の国は「瑞穂の国」と云われ、自然の豊かな国でした。瑞穂とはお米の稲のこと。ロゴの一部、空色の市松模様は、青く晴れた空、そして、海をイメージしました。同時に『瑞』はおめでたさを意味しております。
『亭』、茶の湯の席での『客』と『亭主』のやり取りを表し、一期一会、懐石の心、心を込めたおもてなしを表しております。

瑞亭ロゴ

瑞亭のコース料理特徴

人と人とのご縁を結ぶ、瑞亭を・・・。

従来、日本料理のコース構成は品数は多いものボリュームにやや欠けていました。世帯構成で記念日や世代にあう料理構成として、瑞亭のコース料理では洋食に近い構成を参考に1品1品を充実させた、ご満足いただけるようなコース構成を心掛けています。
ちょっとした喜ばれる演出を。例えば盛り付けに、ビー玉や折り紙を使うなど、遊びごころのある一皿に。鏡のプレートを使用する事により、四季をイメージし、お客様に想像、共感して頂き、楽しんでもらうことを心がけてアートしています。未鏡の世界から、4次元に広がる、オリジナルな和食の世界です。
大切な日、お客様の大切なお客様を『おもてなし』するという役割。

日本の食文化、『懐石料理』『郷土料理』『家庭料理』の3つには、それぞれ『日本のおもてなし』『故郷の味』『おふくろの味』のおもてなしがあります。
それぞれの基本の料理もとに、瑞亭でしかできない『料理とおもてなし』をしたいからです。


瑞亭亭主
小澤 友博