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精進料理|歴史、由来、器、料理、思想を知る

精進料理とは

「精進」とは仏教の言葉で、「仏道の修行に励むこと」です。そこには、食と向き合うことも、含まれていています。人間の生存欲求の一つ、食欲、そして、動物を採集し、殺して食べるという現実があるからです。仏教の考え方には、

1、動物を殺してはいけない

2、心身の欲望に刺激しないこと

という、基本な考え方があります。この考え方を取り入れ「心身を清め、行いをつつしむ。また肉食せず菜食する」これが精進料理なのです。

精進料理を作くることも、僧侶にとっては大切な意味があり、仏様に供えいただくことは、いのちの尊さを知るための修行であるともいえます。

現在では、お通夜や葬儀、法事などのほかお彼岸やお盆の際にも供えられ、ふるまわれます。

三厭(さんえん)と五葷(ごくん)

三厭(さんえん)は、殺生の考え方をもとに、動物性の食品を食べることです。

一方、「五葷」(ごくん)と呼ばれる臭いの強い野菜類を食べることで、主にネギ属(ネギ、ラッキョウ、ニンニク、玉ねぎ、ニラ)のことです。

精進料理のタンパク質

精進料理では、肉や、魚、卵を食べる事は、殺生という考え方に、反しています。しかし、人間の身体の、筋肉はタンパク質で作られています。そこで、動物性のではなく、植物性のタンパク質である、小麦グルテンからできる「お麩」や、大豆から作くられる「豆腐」「湯葉」を使った料理でタンパク質をとるわけです。

精進料理の食材

野菜、きのこ、豆腐、麩、蒟蒻などがあります。

精進料理の歴史

精進料理は日本独自のものではありません。元々は中国から仏教と共に伝わったもので、日本以外にも、台湾・香港・朝鮮にも、それぞれその国ごとの精進料理というものがあります。

平安時代までの日本料理は、食材に魚や鳥を用いていました。ところが、味が薄く、調理後に、各自で調味料で味を調製して食べていたそうです。

鎌倉時代以降になると、仏教、禅宗により「精進料理」が発達していきます。精進料理は中国から伝わったもので、菜食であるものの、味がしっかりとしていました。味噌やすり鉢などの、食材、調理器具が輸入され、今の日本の食文化に大きな影響を与えている。

「五味五色五法五行」に基づいて

五行 節分、節句

五味、味覚(甘い・辛い・酸っぱい・苦い・塩辛い)
五法 調理法(生・煮る・焼く・揚げる・蒸す)             五色 色(赤色の豆・米麦白色・黄色根菜類・緑野菜果物・きのこ海藻の黒色)

室町時代、禅宗のうち曹洞宗では、料理を含めて日常の行いそのものが、修行の本質考え、料理すること、食事を取ることは特に重要としています。ここから永平寺流の精進料理が生まれたといわれています。料理人の修行のスタンスはここにあるかもしれません。料理の形式は本膳料理に、通じるものがあります

桃山時代の、茶の湯の政治と文化により、茶の湯の席でだされる懐石料理は、茶の湯の「わび、さび」の考え方のもとにある、禅の思想が取り入れられたものです。精進料理から派生したもので、質素であり、季節の味を盛り込んだものであり、精進料理の精神「おもてなし」が料理で表現されたものです。

江戸時代、隠元和尚が伝えてたという、普茶料理は、中国料理の精進料理で、薬膳や医食同源を取り入れたものです。

精進料理と器

平安時代。当時、貴族の間では、身分によって使う食器が決められていたようです。天皇は銀食器、天皇の天皇と血縁がある者や、三位までのくらいは朱漆の器を四位、五位のくらいは黒漆の器。それ以下は土器でした。貴族社会から武家社会へ変わった鎌倉時代、
禅宗により生まれた精進料理にも、漆器が使われるようになりました。

精進料理おとし

現在では、「初七日法要」の後に振る舞われる食事、葬儀後の食事をいいます。本来は、仏教の思想に基づいて、四十九日法要までの期間中は肉・魚や酒をたつ食事(=精進料理)をしていました。精進料理から普段通りの食事へと戻すことを「精進落とし」と呼んでいたようです。

精進出汁

動物性の食材を使用しない精進料理では、鰹節を使うことhをできません。そこで代わりとなるものが、精進出汁です。精進出汁は、植物性食品で取った出汁です。いくつか方法はありますが、ここでは、大豆、干瓢、昆布、椎茸などからとったものをご紹介します。まずは、大豆。大豆を炒ることにより、香ばしさを感じます。干瓢からは甘味が、干し椎茸からは旨み成分であるグアニル酸、そして、昆布からは旨み成分のグルタミン酸が抽出され、相乗効果による、動物性食品を使わない、複合出汁を作ることができます。

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