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鱸 すずき

すずきのエラ

すずきは、ブラックバスと呼ばれる、釣り人の間ではバス釣りは人気です。私の父も釣りが好きなので、釣ってきた、すずきを食べたのを覚えています。その当時、私も一度、すずきを卸したことがあるのですが、エラの表が鋭いから、手を切らないように言われたました。直樹作家、高橋治は、「蕪村春愁」の句の中で、「 釣り上げし すずきの巨口 玉や吐く」。スズキのエラ洗いのとき、ひっかけた鈎を外そうと、真紅の巨口を開け人間に突進してくると、エラ洗いの興奮を書いている。

出世魚『すずき』

すずきは、ブリ、サワラ、ボラと同じ出世魚です。出世魚とは、幼魚から成魚までの間、大きさに合わせ、何回か名を変えるため、出世魚と呼ばれ、お祝いの席で出される魚です。セイゴ→フッコ→スズキ

すずきの由来?何故?スズキ?

諸説ある中で、スズキの身白く、「“すすぎたる”ように清げなる魚なり」と記されている。この「すすぎ」が「すずき」になったという。他にも、スズキが直進するように泳ぐことから、「進(す)く進(す)くの意。“進(すす)き”の意か」という説がある。

『古事記』『万葉集』に描かれるスズキ

『古事記』には、国譲り神話の中で、オオクニヌシが国譲りの和議の後の宴で、スズキが卓を飾ったとことや、万葉集では、

「鱸とる  海人のともし火 よそにだに 見る人ゆえに 恋ふる」 作者不詳 

と読まれ、このことからわかるように、古来よりスズキは、暮らしに息づく風物詩として、土地の人々に愛され、親しまれてきたことがわかります。

平清盛が出世できたのはなぜか?

平清盛は武士でありながら、太政大臣にまで出世した人物。太政大臣は、朝廷の中でも最高職です。このことがきっかけで、武家政権が確立していくようになります。そんな清盛の出世にまつわるエピソードがあります。

まだ安芸守であった頃、伊勢の国の津から船で熊野神社へ参詣した時のことです。途中、海上で突然、大きなスズキが船中へ飛び込んできたのです。それを見た、家来は、「これはまさしく目出たい吉兆でございます」

「むかし、中国の周の武王の船へ飛び込み、それから戦いに勝ち進み、天下を取ったのでございます」

「まさしくこれは、熊野の神様のご利益です」

「早速、このスズキを料理してお召し上がりませ」

といい、清盛は喜んで、その料理を食べたという、そんな伝説が残されています。

その後、霊験あらたかに吉事のみが続き、太政大臣まで出世したことは『平家物語』に出ている。

島根県とスズキ

先に書いたように、古事記や日本書記の舞台となる「出雲」の地では、鯛よりも、スズキの方がむしろ、親しみがあり、喜ばれていたのがわかります。島根県の観光スポットである、「宍道湖」では、スズキは、宍道湖で獲れる代表的な7種の魚介類(スズキ、モロゲエビ、ウナギ、ワカサギ、シラウオ、コイ、シジミ)として『宍道湖七珍』と呼ばれています。そんな宍道湖の旅館でも出される、郷土料理に『奉書焼き』があります。奉書焼きは、島根県の郷土料理で、和紙の奉書紙を水に濡らし、魚体を2~3重に覆い包み、旨味を逃がさないように焙烙(ほうらく)鍋か、天火で蒸し焼きにしたものです。松江藩主である松平不昧公は、お供えする魚に、「灰のついたまま差し出すのは、恐れ多い」と、奉書に包んで蒸し焼きにした魚を献上したところ、大変喜ばれたことが始まりとされて います。明治維新までは、庶民は決して口に出来なかったといわれています。

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