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芋茎、ズイキ、はすいも(青ずいき、赤ズイキ、白ダツ)

シャキシャキとした、はすいもの食感

はすいもの魅力、それはなんといっても、シャキシャキとした食感。調理師の専門学校にいた頃、特別授業で、講師の先生が、はすいもを使った「炊き合わせ」の作り方を見せて下さいました。私が、はすいもを知ったのはそれが初めてです。その時は、食べることができませんでしたが、研修先で、食べた時、美味しい出汁の味と、シャキシャキとした食感とに驚きを感じました。

高知とはすいも

高知県では、はすいものことを琉球と言います。一説によると、その当時、琉球からはすいもが伝わってきたそうです。高知では、夏の食材として、炒めもの、煮物、汁ものに使われ、食べられています。また、輪切りにして、夏のお造りの飾りれます。

白ダツ

白ダツは、海老芋や里芋などの葉柄で、日が当たらないように栽培されたのもです。値段も高く、料亭などの比較的、高級な和食店で出されます。ズイキ全般に言えることですが、とてももアクがつよく、アクが残った状態では、ピリッとしたを痛く刺激します。茹でる時に、唐辛子を入れたり、酢を入れアク抜きをします。アクが強く、一度切ると時間とともに、茶色く変色していきます。白服などに着くと、茶色なってしまうので、皮をむく時には注意が必要です。

赤ずいき(加賀伝統野菜)

加賀野菜の一つ、赤ずいき。主に八頭から伸びてできています。赤ずいきは色目が赤いので、酢の物にするとその色を活かす事ができます。

『ずいき』呼び名と歴史

 「ずいき」の名前は、南北朝の頃、臨済宗の僧夢窓国師疎石の歌にも読まれており

「いもの葉に置く白露のたまらぬはこれや随喜の涙なるらん」と伝えられています。

芋がら

ずいき???と思う人もいるかもしれません。赤ずいきを干したのが「芋がら」です。一度水で戻し煮物や味噌汁に、入れたりします。

北野天満宮『ずいき祭り』

天満宮は、天神様と呼ばれる、学門の神様である、菅原道真を祀っています。その、総本山とも言えるのが、京都に北野天満宮です。

菅原道真は平安時代前期の学者・政治家です。幼少より詩歌に才能があり、11歳で初めて漢詩を詠んだと言われています。その後も文章博士となり文人社会の中心となっていました。宇多天皇に、その才能を認められ、右大臣にまで出世しました。ところが、これを妬んだ、藤原時平(左大臣)たちの落としいれられ、九州に移され、903年(延喜3年)大宰府で亡くなります。これを祀ったのが、全国の受験者が合格祈願で訪れる、「太宰府天満宮」です。

道真の死後、都は雷と激しい雨が続き、道真をおとしいれた者たちが雷に打たれて次々に死んだのです。これを恐れた、藤原氏は道真の官位とともに、947年(天暦元年)京都の北野の地に、天候を司る、天神として祭ります。天候をおさめたとしています。

天候は、農耕社会であった当時、人々にとっては、雷は人や家畜を殺す恐ろしい現象であり、その反面、適度な雨は、作物を育てる上でとても大切なものでした。

北野天満宮では、天候を司る天神様に、神人(じんにん)と呼ばれる人たちが収穫を感謝をする、瑞饋祭(ずいきまつり)を行うようになります。

応仁の乱でしばらく、この祭りは、途絶えたものの、大永7年(1527年)からは一つの台に盛り飾り、また野菜で人物や動物の形を作って、みこしのようなものをつくり、担いで祝ったそうです。これが「ずいき神輿」の原型です。

ここまでくるとお分かりだと思いますが、瑞饋(ずいき)がサトイモの葉柄である、「ずいき」となり、ずいき神輿の屋根部分につかい、神輿を担いで西の京各町をまわりました。明治に入り、一時中絶はしますが、明治23年(1890年)に復活、現在まで続いています。

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